リニさんが旅立ったことを知った。
何年か前から癌で闘病してたのである。
コーチョー(校長)ことリニさんは、私の大学院時代のフィールドであるマカッサルで、かおり文化園という日本語学校を経営していた。
私が22歳で初めて会った頃はまだ30そこそこだったと思うので、おそらく50代半ばであろう。
早すぎるお別れである。
お父さんであるフスニさんが、広島大学では確かインドネシア人として初の医学博士号を取得、後に多くのインドネシア人留学生が後に続いた。帰国後は地元のUNHAS(Universitas Hasanuddin, ハサヌディン大学)に戻って教鞭を取った。紛うことなき地元の名士一家なのである。
その縁で、幼少の一時期を日本で過ごした彼女は日本語が実に流暢なのであった。
あいつ今何してる?「インドネシアから来た兄妹 グナワンくん、リニちゃん」
在マカッサルの大先達である松井和久さんの追悼コメントを紹介しよう。
マカッサル時代からの友人のリニさんが逝去されました。彼女は生前、校長として日本語学校「かおり文化園」を経営し、多くの若者に日本語を教え、日本が大好きな人々を育ててきました。彼女の早すぎる逝去に際し、心からご冥福をお祈りいたします。
本当にそうなのである。
リニさんとかおり文化園がなければ、私のマカッサルでのフィールドワークは随分と味気ないものになっていたであろうことは確信をもって言える。
いろんな所連れてってもらった。
もともと顔が広い人なので、いろんな人を紹介してもらった。
多忙にも関わらず重要な外せないインタビューのときは快く通訳として(無償で)同行もしてくれた。
インドネシア語が我ながら目覚ましく上達したのも、かおりに通う日本語に関心を持つ若者たちと長々だべり続けたからだし、
今も縁の続く青年協力隊の同世代の友人たちと出会えたのも、かおりを通じてである。
研究上のカウンターパートであったUNHASよりも、かおりに入り浸っていた時間の方が間違いなく100倍長い。
大学院を出て就職した後も、インドネシア出張の際は半ばこじつけで用事を作ってマカッサルを訪れたものである。もちろんその度にお世話になった。
一度フライト遅延だか荷物のせいだか忘れたけど、大幅にゲートを出るのが遅れ、せっかく時間通りに空港に迎えに来てくれてたリニさんを2時間くらい待たせてしまったことがあった。
まだポケットWi-Fiがそれほど一般化しておらず携行してなかったこともあってネットが繋がらず、連絡の取りようがなかったのだけど、それでもリニさんは笑って許してくれた(ちょっとはお小言くらったけど)。
4年前にかおりは設立20周年を迎えた。
長く会ってなくても、行けば温かく迎えてくれると無条件に信じられるような、私にとって大事な場所であり人だったのである。
フスニさんはじめ、ご家族の気持ちを思うと言葉がない。
しばらくインドネシアも行けてないので、結局何年お会いできないままだっただろうか。今はそれがただ悔やまれる。
本当にお世話になりました。安らかにお休みください、コーチョー。











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