他人と一緒に住むという事

八木橋努さんと出会ったのは、彼の主催するワークショップに参加したのがきっかけだ。 7年半前、2016年春のことである。最中に熊本地震が起こったのでよく覚えている。 なぜワークショップかというと、当時私はワークショップデザインを学んでいたのである。 なぜ彼のワークショップかというと、当時私の行きつけだったどん底という新宿三丁目の飲み屋に案内の貼り紙がしてあったからだ。 ワークショップデザインを学んでいた身としては、こりゃ奇遇、面白そうじゃん、という軽いノリで参加を決めたのである。 なぜ飲み屋にそんな貼り紙がされていたかというと、後で知ったのだが、当時彼がそのどん底で働いていたからなのだ。だから、知遇を得たのはこのワークショップでだけど、実はもっと前に店員と客として会ったことはあったかもしれない。 即興的な対話劇を駆使したワークショップだったが、その実彼は実際に芝居を書き、演出を行うプロの劇作家でもあった。その頃すでに三本ほどの作品を執筆し、そして上演していた。 コロナ禍で一時中断を余儀なくされたものの、今も一年に一本のペースで作品を制作、上演している。 彼のメソッドはとても刺激的だ。 私が演劇でどちらかというと苦手なやたら大袈裟な身振り手振りとか、わざとらしさとかは一切出てこない。平田オリザ氏とはまたアプローチは異なるのだけど、独自のやり方でリアルとかどうしようもない人間の性とかを追求しているのである。 ワークショップの中で、設定と役柄だけ与えられて、即興でその場その瞬間にぽっと出てきた台詞や表情が、どんな脚本家が考えに考えても書けないリアルな言葉だったりして目から鱗。 おれってそんなこと感じてたんだ、いや、たとえそう思ってなかったとしてもこんな言葉が口から出ちゃったんだ、みたいな。事後的に気づいちゃうというか。 そしてそんな何気ない言葉たちを彼は貪欲にネタに取り込み、一つの作品を作り上げていく。なるほどその手があったか(笑) そうこうするうちに、彼は長らく勤めたどん底を辞し、そこから至近のゴールデン街のバーのマスターになった。当時新宿に職場があった私にとって有り難いことであった。 前後して彼は仲間たちと映画を撮り始めた。 2020年の正月に試写会があっていよいよ公開かと思ったらそうはならなかった。 (お招きいただいたのだが、ちょうど大学時代の仲間との新年会で痛飲後に駆け付けたので内容よく覚えていない) そこからさらに4年。撮影開始から実に7年の時を経て日本での公開に漕ぎ着けた。この執念、見習いたい。 で、昨日イメージフォーラムにてようやく視聴。 私も飲み屋のマスターとして一瞬映り込んでいるのはご愛嬌である。 うだうだした冴えないやり取りの中についつい自分を見てしまういたたまれなさ、人間の愚かしさに垣間見る可笑しみみないなものが何とも言えない。八木橋さん独自の世界だと思う。

DiaryMovie

2023年12月13日

Que rápido pasa el tiempo

久々にアルゼンチンへ行ってきた。 南米大陸自体、2015年7月にブラジルを発って以来である。 この8年はあっという間だけど、移動の30時間はやたら長い(笑) あまり自由な時間はなかったし、滞在したのもブエノスアイレスのみではあったけど、タンゴもアサードもスペイン語も懐かし過ぎてご機嫌ご機嫌。 15年前、前職時代に「アルゼンチン日本人移民史」の刊行プロジェクトでご一緒した米須清文さんも変わらずご健在であった。何よりである。

DiaryJourney

2023年12月9日

仮面 ー隠されたもの、顕れたもの 第1回

舞い、謡う。仮面のアジア  毎年特定のテーマを設け、藝大ならではの多角的視点からアプローチを試みる意欲的な企画「藝大プロジェクト」。今年のテーマはずばり「仮面」です。2回シリーズのうち第1回にあたる今回は、アジア各国から選りすぐられた三つの仮面芸能を、ミニレクチャーとともにお楽しみいただきます。  古今東西、その土地における宗教や祭祀の儀礼で使用されるのみならず、美術や演劇、音楽といった芸術の諸分野においても、それをモチーフとした魅力的な作品が多く作られてきました。「顔を覆う」という一見不自由極まりない制約から、人は想像力を駆使し、豊穣な世界を生み出してきたのです。  新型コロナウィルスによって、あらゆる活動に制約が課されたこの数年。鬱屈した思いを、その象徴的存在であるマスク(=仮面)に託して、いざアジアの深淵へ!

News

2023年10月10日

言語の本質

『言語の本質 -ことばはどう生まれ、進化したか』(今井むつみ、秋田喜美) 非常にスリリングな本だった。 一般に言語学では周縁の分野と認識されている、それでいて二人の著者がこの上なく偏愛する「オノマトペ」を切り口に、言語に迫る。 なかでも、オノマトペが身体性とリンクしているがゆえに、子供が言語を習得するにあたっての取っ掛かりとなり、かつ言語という広大な抽象概念とを架橋する存在でもある(大意)、という洞察は、私自身が幼い子供たちを目の前にして、日々体験する現在進行形の実感と相俟って目から鱗だ。 そしてそれは、ソシュール以来の言語の恣意性という大原則をも覆すものなのであった。 ここでも「ゆる言語学ラジオ」大活躍(笑) 紹介されている【赤ちゃんミステイクアワード】はどれも本当に興味深い。 言語学者にとってこれほど気軽にアクセスできる宝の山もなかろう。集合知の賜物やなあ。 で、たまたま図書館から借りて同時に読んでた本でも似たようなことが書かれてて驚いた。 『動物たちは何をしゃべっているのか』(山極寿一、鈴木俊貴) ご存知ゴリラ研究の山極寿一先生と、シジュウカラ研究の鈴木俊貴さんという若き研究者の対談本だ。 お二人の専門は動物のコミュニケーションなのだが、そこから通して見える人間のコミュニケーション、そして言語への考察へ話は進む。図らずも先の「言語の本質」と問題意識は共通しているのであった。 山極先生の言うところのインファント・ダイレクテッド・スピーチ(大人から赤ちゃんへの話しかけ)なんて、人間からペット(動物)への言葉そのものだし、まさに身体と結びついたオノマトペ的な語法と共通するよね。 そして山極先生の関心は、音楽や踊りといった、より身体的、根源的なコミュニケーションへと展開する。さすがや。 言葉はたくさんあるコミュニケーション手段の一つに過ぎなかった。ところが、現代社会ではその地位が極端に高くなってしまっている。(P.167) これは、敬愛する西江雅之先生が手を変え品を変え、何十年も前から主張されてたことでもあるな。慧眼!

BookDiary

2023年9月23日

小川さやかは知っている

奉職している大学では、主たる業務以外にも、全学にまつわる委員会やらワーキンググループやら、さまざまな役割が回ってくる。 このクソ忙しいときに、と思わないでもないが、余程のことがない限り引き受けるようにしている。 今いる大学で自分のようなバックグラウンドを持つ人間は少数派なので、多様性を担保する意味で、それはそれでお役に立てる部分もあるだろうと僭越ながら自負しちゃっているのだ。 委員を拝命している会議の一つに教養教育センター会議なるものがある。良くも悪くも専門知に特化しがちな本学学生に対して、幅広い教養教育の機会を提供しようということで、そこの開設授業でどういうことやろうとか、どんな人に外部から講師に来てもらおうとか、他科から集められた先生方と議論しているわけだ。 で、今年度このセンターに新設されたのが「先端知を識る」なる授業。前期のみの開講で、外部から計四人の講師が1ヵ月(4回)ずつ担当するオムニバスの講座だ。 結果的に四人のうち二人が、私が推薦、というか紹介した人に来ていただくことになった。 一人は神崎亮平先生である。 神崎先生には2年前、縁あって私の担当している授業に出てもらった。 でもそのときはコロナ禍真っ只中でオンラインでの開催だったので、実際にお会いしたことはなかった。 これまでのブリリアントな研究業績はもちろんながら、何というか、画面越しにも伝わるスコーンと突き抜けた明るさみたいなのがあって、今回ゲスト講師の推薦を依頼されたとき、真っ先に神崎先生のことが頭に浮かんだのだった。 そしてもう一人が、大学院の同窓であり、このマニアックな研究科の出身者の中で(中島岳志さんや川瀬慈と並ぶ)出世頭である小川さやかだ。 この講座の講師をオファーした際、本人から快諾もらった後の細々したやり取りは、まさかの秘書さん経由。 うちの大学で個人秘書がいるのなんて、せいぜい学長くらいじゃないか。 早々に見せつけられたこの彼我の差よ(笑) さもありなん。 この人の言うこと書くもの、ことごとく面白いのよね。 都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌― ウジャンジャである。狡知、とはなかなか秀逸な訳語ではないか。 フットボーラーの立場で言わせてもらうと、ブラジルで言うところのマリーシアやな。 十年以上前(2011年)、デビュー作にて早々にサントリー学芸賞受賞。 お呼ばれして授賞式も行った記憶ある。そりゃあ選ばれるわ。 そして。 「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学 「その日暮らし」とはまた絶妙なキーワードを出してきたものだ。 今の日本で「その日暮らし」なんて、一般的にはネガティブな文脈で語られることが多いだろう。 その対極で、今私たちは例えば「老後のためにお金貯めよう」とか「将来のために今は(我慢して)●●しなければ」とか、そんな考えが、もはや疑う余地もないくらいに自明のものとして染みついてる。 が、彼女の描き出す「その日暮らし」はそんな凝り固まった価値観を軽やかに飛び越える。 そんな窮屈な強迫観念は、たまたまこの時代、この地域に蔓延した特異な奇習であって、普遍的なものでも何でもないことを鮮やかに活写する。 それを押しつけがましくなく、フィールドでのタンザニア人との絡みからサラッと浮かび上がらせるその手腕がサイコーなのだ。 小川さやかの類いまれな才能はもちろんのこと、 その能力を存分に発揮させられるだけの人類学の学問としての度量もまだまだ捨てたもんちゃうやん、とエラそうながら思っちゃう。 惜しむらくは、このオムニバス講座(水曜4限)が自分の担当授業とモロ被りのため、結局一度も聴講できなかったことだ。 どの学生よりも私が一番聞きたかった講座なのに。残念すぎる!! せめて資料だけでも貰うことにしよう。

BookDiary

2023年7月7日

On Writing

昔は山ほど書いていた。 小学生の頃から文章だけは褒められた。 毎度当たり前のように賞をいただいていたのである。 中学生になって一人暮らし始めてからは、書いても書いても書き足りなかった。 日々の出来事に感情が追い付かなかったのである。 今でも覚えているのは高校生の夏休み、止まらなくなって1日で大学ノート1冊書きつぶしたことだ。 とにかく書かずにはいられないことが溢れ出していたのだ。 この感性が今も続いていれば、すでに芥川賞どころかノーベル文学賞を取っていたであろう(笑) 大学に進学しても、書くことへの飢餓感は続いてた気がする。 そもそも大学の選択も、おれは書ける人間だから、ということで文学部一択だったのである。 実家を漁れば、百冊は優に超えるノートが埋もれているはずだ。 大学院に入っても、フィールドノートという形で、どうでもいいこと含め、逐一書きつけてたと思う。 その頃は異国の地でそれなりに貴重な経験をしている自覚があって、それを残しておかなければ、と思ってた気がする。 それ以前はもっと純粋に、とにかく書いておかなければ、というやむにやまれぬ感情があった気もする。 気づけば今は何だ。 文章は毎日それなりに書いている。 が、メール対応、チラシ、企画書、ご挨拶等々。フォーマットの決まったものだ。 いつからなのか。 ブラジルから帰国してからか。 家族を持ってからか。 子供が生まれたからか。 大学に転職したからか。 書くまでもなく楽勝で現実に対応できちゃうほど、歳を取ったということか。 先日、敬愛する某氏から論文書け、と言われた。 さておれは何を書けばいいんだっけ、としばし呆然としてしまった。 で、焦燥にも似たもどかしい思いを抱えている。 ここ数年、書くことについてあまりに無頓着でありすぎた。 こりゃあきまへん。 これから日々原稿書きに勤しむことになるであろう。

Diary

2023年5月30日

オール・ベートーヴェン

行ってきた。とっても良かった。 https://twitter.com/pactgd/status/1647908706355646465 指揮者なしでこれができるなら、指揮者の存在って一体何よ、と考えさせられる。 指揮者をおかないオーケストラで指摘したいのは、リーダーが不在になるのではなく、リーダーの権限が分散され、状況に応じてむしろリーダーが増える、という点にあります。それまで指揮者が決めていたこと、例えば音を出すタイミングや音量のバランス、音楽的なアイデアをその時々の重要なパートの奏者達が自分で決断して行く、あるいはそこに至るまでの議論を重ねて行くことになるでしょう。(中略)オーケストラの民主主義が、生き生きとした自発的なアンサンブルをもたらすのか、どちらつかずの停滞をもたらすのか… (北川森央さんのプログラムノートより) 奥が深い。 その意味で言うと、このチャレンジングな試みは成功したと言えるのではないだろうか。 もう一つ改めて認識するのが、このコロナ下、そしてAIを巡る議論の中でも散々言われてることだけど、オンラインやデジタルに対するライブの圧倒的な体感だ。 特にベートーヴェンなんて、過去の名演といわれる映像がいくらでもネット上に漂っててタダでお手軽に視聴できる。かたやホールだと寝転がって聴けない、隣のおっさんに気使う、つまみ食いできない、ずっと座ってたら腰痛い……そんなデメリットたちも補って余りある悦楽的な時間と空間がそこにはある。 世に疎いままボケっとしてたらまた一周回って、期せずして肥沃で広大なフィールドがどかんと目の前に顕れた感じだ。 そう、身体さえそこにあれば何だってできるのだ。

DiaryMusic

2023年4月20日

Camino, 2019

2019年2月、サンティアゴ巡礼。 ただ食って飲んで歩いてをひたすら三十数回繰り返せばよかった日々がとてつもなく懐かしく感じる。 冒険、というほどのスリルは皆無。 熱心な信徒には怒られるけど、巡礼路であると同時に、これ以上のエンタメ体験が他にあろうか。 この4年、世界も、身の回りも、想像もできないほどに大きく変わった。 次にこの贅沢極まりない時間と空間を味わえるのはいつになるだろうか。

DiaryJourney

2023年2月18日

一徹よお願いだから永遠に

12月12日。年の瀬に今年最大の激震が私を襲った。 私がこよなく愛するラーメン屋「がんこ一徹」が来年1月で閉店すると言うではないか! https://twitter.com/ittetsu1ganko/status/1602165939557920769 信じられない。 新井薬師に住んでた大学時代、この店のオープンから通い出してはや四半世紀。 ラーメンを愛する私の、その中でも不動の一番の味であり続けたこの店がなくなってしまうなんて。 とてつもない喪失感に囚われている。 一日に同じラーメンを昼と夜の二度食いに行ったことがあるのは、いかにラーメン好きの私と言えどこの店だけである(笑) (10年以上前からすでに10年以上偏愛し続けていることを熱弁している) ジロリアンでもある私は今も週に1度の二郎詣で(インスパイア系含む)を欠かさない。 そういえば昨日半日ドック帰りに食った豚麺(@飯田橋大勝軒)では、直前に飲んだバリウムと相俟ってしばらくお腹が妙な具合であった。 他にも好きなラーメンは山ほどある。 家近の名店としおかしかり、三ん寅しかり。 今年はサーモンnoodle3.0なるユニークな店も近くにできた。 それでも一徹の地位が揺らぐことはない。常にここに戻って来てしまう。 今や他のラーメンを食すときの物差し的な存在であり、まさに我が偏愛する至高の一杯なのである。 大学を卒業して東京を離れたときも。 長期海外にいたときも。 この一杯が私の大きな支えなのであった。 何が好き、と聞かれたら、焼肉とか寿司とか普通名詞で答えられるもの以外で、 あくまで固有名詞に限るのであれば、私がこの世で最も偏愛する食べ物は、 がんこ一徹のチャーシュー麺と、あるでん亭ファンタジア、この2品を置いて他にない。 もはや私のアイデンティティの一部を形成している。 店主のお兄さん、開店当時はまだ20代と思しき青年であったが、今やコック帽から垣間見える髪には白髪も目立つ。三児の父でもある。 しかしその溌剌とした風貌と愛想の良さは常に変わらない。 この店の近くに、これまた学生時代から通ってる歯医者さんがあって、3ヵ月に一回歯のクリーニングをしてもらってるのだけど、その帰りにがんこ一徹に寄るのがもう何年もルーティンになってる。 というか、定期的にがんこ一徹に通うために、家から近いわけでもない歯医者に予約を入れ続けているというのが正確なところだ。 次の歯医者は2月なので、それではもう間に合わない。 先週、中野でのタイトな用事にかこつけて大慌てで駆け込んだ。相変わらず美味し。 駅前の開発に伴う立ち退きとのことで、話は結構前からあったのだろう。 が、閉店後のことは全く未定、再開するかどうかも分からないとのこと。 そんなこと言わないで。 いつまでも待っている。 https://twitter.com/ittetsu1ganko/status/1290899433920421888 ホリさん、今こそ立ち上がってくれ(笑)

Diary

2022年12月27日

退屈なかもめたち

かつての芝居もどき仲間であり、かつてのフットサル仲間であり、今もたまの呑み仲間(ゴールデン街の行きつけの店が同じで、行くと大抵いるのだ)でもあるスズキさんの長編映画初監督作。 直接お声がけいただいたのでこれは行かねばともろもろ調整の上、夜の池袋へ向かったわけだが、そうでもしないと最近なかなか映画館で映画を見る機会ないよね。一体いつぶりであろうか。 映像と音声の処理の甘さはあるものの(失礼!)、全編芝居の稽古場のみで撮り切ったとことか、劇中劇の構成とか、ぽんぽん飛ばして適度に謎を謎のままに残しつつ想像掻き立てるとことか、最後はほっこり。良き哉。 少なくとも劇中で劇的な出来事は1ミリも起こらないけど、でも実際そういうもんよね。日常とはかくあるべし。 (あ、でもビンタシーンはあったか)

DiaryMovie

2022年11月15日

Ciúnas (Silence)

ほぼ無言で語る12分半。 アイルランドの風景とともに。現在期間限定で公開中です。

Movie

2022年11月13日

藝大百鬼夜行 第1回

荒俣宏・小室敬幸の妖怪藝術大学  毎年、特定のテーマを設け、藝大ならではの多角的視点からアプローチを試みる意欲的な企画「藝大プロジェクト」。水木しげる生誕100年にあたる今年は「藝大百鬼夜行」と題し、「この世ならざる形」が具現化した存在である妖怪や鬼、悪魔といった魑魅魍魎をモチーフとした作品群を、全3回にわたって取り上げます。  コロナウィルスの猛威が続く2022年ですが、かつて人々はこうした自然の脅威や目に見えないものに対する畏怖の念とどのように折り合いをつけ、可視化し、芸術として昇華させてきたのでしょうか。今年度の「藝大プロジェクト」では人間の想像力と創造力のたまものであるこの根源的なテーマに挑みます!  第1回では、日本を代表する妖怪研究者・作家である荒俣宏さん、新進気鋭の音楽ライター小室敬幸さんをナビゲーターに迎え、古今東西の妖怪にまつわる音楽をトークインコンサートの形式で。日欧の妖怪観の違いから、音楽への表象のされ方、結局妖怪って何…?等々、トピック盛沢山でお届けします。  縦横無尽のトークと、名手たちによる音楽の共演をぜひお楽しみください。

News

2022年9月16日

オシム監督

これは貴重! 想像の10倍上手い。懐の深さとリーチの長さ、エレガントに捏ねくり回して敵をいなす感じ。今で言うブスケツっぽいな。

Football

2022年8月26日

財団、のち大学

『公益法人』2022年6月号(通巻598号)より転載 https://kohokyo.or.jp/kikanshi/kikan_2022_06/ 公益財団法人である民間の助成財団にプログラムオフィサーとして十数年勤務した後、縁あって2019年に国立大学へ教員として赴任した。財団退職の際、寂しいけれどこれで公益法人業界(?)ともお別れかと思ったが、その実まったくそのようなことはなかった。教育とは、公益に関わる最たるものの一つだからである。そして昨今、国立大学の懐事情は大変厳しい。自前の予算だけではとても賄い切れない。 当方、大学では授業に加えて、舞台公演の企画制作を生業として受け持っている。ジャンルを横断する複合的な要素と多くの人々が絡む総合芸術であり、(事後に動画配信などの選択肢もあるものの)基本はその場限りのライブを身上とする舞台公演の制作には、とにかくお金がかかる。かくして、さまざまな財団様から公演実現のために助成金を獲得するべく、申請書作成に勤しむ日々である。助成金を出す側から受ける側へ立場が180度変わったわけだ。 財団に在籍していた当時、応募を検討している方々から事前に相談を受ける機会がよくあった。「こうしたほうがよい、ああしたほうがよい」と、自ら企画した助成プログラムの趣旨にもとづいて偉そうにアドバイスを垂れていたわけであるが、いざ自分が申請する身になってみると、言われたことがそんな簡単にできれば苦労はない。これまで応募者の方々にさぞ無茶な要求もしていたのだろうなと痛感される。また、一つの公演に複数の財団から助成をいただくこともあるが、財団によって対応や求められる提出物、オブリゲーションもそれぞれに異なるので、その違いを、身をもって体験できるのは面白い。芸術という特定領域には限られるが、自身が財団にいたときよりも、各財団の個性や特徴について詳しくなっているかもしれない。 かつて公益セクターに籍を置いた身、今現在はそのサポートをいただいている身、想像もしていなかったキャリアだが、奇しくも二つの立場を経験することとなった。双方が実りある関係を築いていけるための橋渡しとして、微力ながら力を尽くしたい。

NewsWorks

2022年6月24日

国際協働プロジェクトを 支える/実施する倫理と論理

2月に前職トヨタ財団からお呼ばれして、東京大学多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)と共催「国際協働プロジェクトを支える/実施する倫理と論理」なる3日間の集中講義に登壇。 初日にプログラムオフィサー(PO)について一席ぶつ。 久しぶりにホームに戻ってきたような感覚を抱いた。何だかんだで10年以上この世界に関わってきたのである。 にしても東大生の皆さん、ほんと優秀。 Report:集中講義「国際協働プロジェクトを支える/実施する倫理と論理」

News

2022年6月20日

enfant terrible

おそるべき19歳。 Pedri

Football

2022年4月4日

Selamat ulang tahun, Kaori

院生の頃、インドネシアでのフィールドワーク中にお世話になりまくったマカッサルのKaori Bunka Enが設立20年を迎えたという。 お祝いのメッセージを依頼されたので送ったら、インスタ用の動画に仕立ててくれて、FBでもこれを拡散せよ、とのこと。 20周年おめでとうございます! マカッサルもKaoriも大好きです。 Sejak saya datang ke Makassar sebagai mahasiswa S2 untuk penelitian dan belum tahu apa-apa tentang Indonesia ataupun bahasa Indonesia, Rini koco dan semua orang di KAORI selalu membantu saya! Terima kasih atas semua dukungannya. Selamat ulang tahun yang ke-20. Semoga semakin aktif berperan sebagai jembatan antara Indonesia dan Jepang. Jika Corona usai, saya ingin pergi lagi ke Makassar, kampung halaman kedua saya. [video width="720" height="1280" mp4="https://www.cafesawerigading.com/wp-content/uploads/2016/05/293434140_1142161176347145_5579418733816051489_n.mp4"][/video]

DiaryNews

2022年3月8日

一文字弥太郎さん死す

広島にゆかりがある人であれば、この名前を耳にしたことはあるのではないだろうか。 長年広島を拠点に活動するラジオパーソナリティである。 その一文字さんが、先月コロナからの肺炎で亡くなられたという。 今も現役で活躍されていたらしいが、広島を離れて約四半世紀の私は、最近の活動は存じ上げない。 90年代、中学高校を広島で過ごした私にとって、一文字弥太郎といえば「びしびしばしばしらんらんラジオ」(通称びしばし)である。 当時下宿生で部屋にテレビのなかった私には、平日夜の2時間、びしばしを聞くことはルーティンであり、当たり前のようにそこにあるものであり、なかなか痛い感じの十代だった自分にとって数少ない悦楽の一つであった。 この報に触れて、特徴的なあの甲高い笑い声と、当時の自分にまつわる諸事がまざまざと蘇ってくるのである。 ご冥福をお祈りします。 この追悼文、とても良いです。登録したら全文読めた。 一文字弥太郎さんを悼む 愛された覆面トーク 下畠英治 そもそもこの訃報を教えてくれたのは前職時代に知り合った田村民子さん(「伝統芸能の道具ラボ」主宰)なのだけど、何と彼女は学生時代この番組で一文字さんのアシスタント的な立場として定期的に出演していたのである!数年前にびしばし話で盛り上がるまでそんなこととは露知らず。仕事で出会う前にラジオを通して声を聞いてたことになる。 世界は狭い。

Diary

2022年3月5日

よりみち藝大座

卑しい人、金持ちな人、愚かな人。 ケチな人、貧しい人、ダメな人。 狂言や落語や浪曲を始めとする日本の伝統芸能には、 そうした人間の醜くて面倒臭い部分をもまるっと受け入れて肯定してしまう懐の深さとしなやかさがあります。 この公演では日本の伝統芸能を切り口に、人間の多様性とインクルーシブな社会について考えます!

News

2021年11月1日

TROPICAL CACAO, Dari K

セブンイレブンで購入したDari Kチョコレートドリンク。 Dariはインドネシア語で「〜から」という意味、Kとは私のかつてのフィールドでもあったK字形の島、スラウェシのことだ。つまり、スラウェシ島で栽培されたカカオを用いたドリンクなのだ! 代表の吉野さんとは同じ大学院で、同じ授業に出たり一緒にボール蹴ったりした記憶がある。もう十何年も会ってないと思うけど。 あのマニアックな大学院を出て、一般の企業に就職したり大学で研究者になった人は多いと思うけど、こういうキャリアを築いてる人はまだまだレアなんじゃなかろうか。 自分がかつてお世話になったスラウェシの、最上のカカオが最寄りのセブンで味わえるなんて素晴らしすぎる。すでにヘビロテ中。そのぶん減量は遠のいた。 セブン-イレブンでの販売に至った理由

Diary

2021年6月22日

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